帆足家本家 富春館とは
帆足本家とは
帆足家は、十二世紀初め玖珠郡に興る。家系図によると豊後守護職大友氏と主従関係を結び一五八六年(天正十四年)戸次市村に居を定め、江戸時代に入ってからは臼杵藩稲葉氏領の庄屋となった。
大分の南の出入り口として、交通の要衝となり街道筋の町屋は鶴崎をしのぐ商業の集落として栄えた。このような戸次市にあって、帆足家は農業のかたわら造酒を業として産をなした家である。現在の母屋「富春館」は一八六三年(慶応元年)臼杵の名棟梁高橋団内の作になるもの、式台付玄関など武家の家構えの特徴をもつ、館号「富春」は帆足家醸の銘酒を意味し頼山陽によってこの名を伝えた。
豊後竹田の出身で文人画家、田能村竹田が初めて帆足家を尋ねたのが一八一六年(文化十三年)と言われ、その後幾度となく訪れ詩画を書き時には、帆足家の為に絵を書いた。一方当家九代統禮の四男として生まれた熊太郎(杏雨)は竹田に入門し、その画風に強い刺激を受け南画の道を進み画人として成長した。
帆足家は竹田の良き理解者となり、富春館は多くの文人画を楽しむ自由人たちのサロンとなった。
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